屋根の上のヴァイオリン弾きで考えたこと
ちょっと前になるんですが、愛知県芸術劇場で屋根の上のヴァイオリン弾きを観劇してきました。
初めての生市村正親さん!
皆さま素晴らしい役者さんばかりで、終始感嘆のため息だったのですが事細かな感想は胸の内のみに。
感想メモを全消去したのは内緒です。ほんと……
でもせっかく観劇の機会を得たので、思い出メモと感じたことを残しておこうと思います。
まず衝撃だったのが、屋根の上のヴァイオリン弾きってヴァイオリン奏者の話じゃないんですね…!
ほんとに初歩の初歩な知識でお恥ずかしいんですけど、タイトルと曲しか知らなかったので。まずそこにビックリしました。
この後は自分で思い出すためにもあらすじを少し
屋根の上のヴァイオリン弾きとは、ユダヤの人々の生き方を象徴した言葉。排斥を受け、流浪の運命に翻弄されながらも懸命に生きている。それは屋根から落っこちて首を折らないようにしながら愉快な旋律を奏でるヴァイオリン弾きのよう。
そして、そのバランスを保っているのはしきたりである。
物語はこのしきたりと家族の愛が主題となっています。
小さなユダヤ人の村アナテフカでは、結婚は仲人さんが引き合わせた相手とするのがしきたり。
しかし主人公テヴィエの娘たちはそれぞれ自分で相手を見つけてきてしまいます。
長女ツァイテルは仲人さんが見つけてきた相手を断り、幼馴染の仕立屋モーテルとの結婚を認めて欲しい!と訴えてきます。
次女ホーデルは革命に燃える学生との結婚を。
この辺がちょっとあやふやなんですが、確かツァイテルはまだお願いって感じだったけれど、ホーデルはもう結婚するので認めてって感じだったんですよね。
より過激なお願いになってる。
そんな娘たちの願いとしきたりの間で揺れ動きながらテヴィエは娘たちの結婚を認めます。
しかし三女チャヴァの相手フョートカがさらに波乱を巻き起こします。なんとフョートカはロシア人、つまり2人は別の宗教思想を持っているということです。
これにはテヴィエも激怒。2人は駆け落ち同然で出て行くこととなります。
「チャヴァは死んだ!」と娘を忘れようとする姿はさっきまでの陽気なテヴィエとは別人のよう。
ここで思ったことなんですが、私はテヴィエがここまで激怒したことに結構驚いたんですよね。
ごく一般的な日本人同様、私は特に熱心な宗教もなくて、愛する娘よりも大切なしきたりってどんなものだろうってまず不思議に思ってしまって。
もちろん世界中で宗教の違いによる排斥や争いがあるのは分かってるんだけど、自分のことのように理解するのはやっぱり難しい。
きっとこういった理由で真に共感できない作品って世の中にたくさんあるんだろうなあって。
ただ、あるシーンでなんとなくその片鱗を掴めたような気になったんです。
それは、三女チャヴァがお別れを言いに家族の元に現れるシーン。ポグロムというユダヤ人排斥運動で村を追われるテヴィエ一家は忙しく荷造りを進めています。
舞台上手側から現れたチャヴァと舞台中央付近での会話が進み、下手にある家のセットにいろんな人が出たり入ったりするんですよね。
その時みんな手に口付けてそれを玄関横の小さな箱にくっつけるような仕草をするんです。どうやらそれはユダヤ人が神様への敬愛を表すためのしきたりらしくて(厳密には違うかも。違ったらごめんなさい)、それを舞台の端のほうでみんなやってるんです。
劇中、結婚式のシーンなどで象徴的なしきたりのジェスチャーはたくさんあるんだけど、何故か私はこの仕草が一番頭に残ってしまって。
ああ、しきたりってこういうことなんだ。ごく当たり前の生活こそがしきたりなんだって、そこで少しだけ自分の実感として感じることが出来たんです。
これって演劇の一つの大きな役割なのかなって、いま感想を書いていて思います。
ユダヤ人のこと、宗教のこと、知識だけではなくて実感できたことにきっと意味がある。
それに、私はあの家族を心底好きになってしまったから、もっと知りたいとも思う。
他の方の感想で、チャヴァの向かう先はアウシュビッツのすぐ近くだというのを見ました。
ただ知っておかなきゃいけない歴史が知りたい歴史になりました。
物語の最後、テヴィエ一家はヴァイオリン弾きとともに新天地へと旅立って行きました。
どうか新しい場所でも、その愉快な音色が途切れることのないようにと願わずにはいられません。