読書感想文「星の王子さま」
高校生の時、知りたいことがあった。
それは大人と子どもの境目はどこかということ。
私の大好きな本「獣の奏者(著:上橋菜穂子)」がおとなの児童文学とどこかで呼ばれていたからだ。
私自身もちょうど大人になったような気がしてきた時期で、その言葉に「あなたはこの本を読むのに適した年齢なのだよ」と言ってもらえているような安心感と、「もう子ども向けの本は読むんじゃない」と突き放されたような疎外感を覚えた。
大学に進み、私は児童文学を学びながら卒業論文として「大人と子どもの境目について」調べようと思った。
けれど、結局はやめてしまった。卒業制作に興味が出てしまったし、なんとなく答えなんてないんだろう、と気づいてしまったからだ。
子どもはいつか大人になるものだ。蕾が花開くほど鮮烈なものではなく、茎がわずかに伸びるような些細な変化で、人は大人になってゆくのだ。大人になったつもりの私が出した答えだった。
星の王子さまを読んだのは、私がもうしっかりと大人になったつもりになって数年。多分22か23歳の頃だったと思う。
仕事の帰り道、本屋でバスまでの時間を潰している時に「そういえばちゃんと読んだことなかったな」と手に取った。
バスに乗ってページをめくっていると、ふと人の気配を感じた。まあ、これは比喩表現というやつで、私の隣には誰も座っていなかったのだけれど。
人の気配というのは私の中のもやもやとしたもので、それは段々輪郭を現し、やがて一人の少女になった。幼い頃の私の顔をした少女だった。
少女は私と一緒に物語を読みながら、登場するおとなたちを「つまらない人たち!」と非難して「あなたとおんなじ」と私を詰った。それでも時々「わたしも王子さまとおんなじ気持ち。あなたもでしょう?」と無邪気に笑いかけてきた。
少女に先を急かされながら、物語は進む。地球に降り立った王子さまは一匹のキツネに出会った。王子さまとキツネはただの王子さまとキツネから“かけがえのないもの”同士の友達になった。
「友達って素敵だね」少女が言った。「忘れてた?」
「忘れてないよ」私は答えた。
少女は私の手をぐいぐいと引き、特急列車の横を通り過ぎて行った。
この時私はもう少女とすごく仲良しになっていて、親しみを込めて彼女をお嬢さんと呼んでいた。
手をつないだままたどり着いた砂漠で、私とお嬢さんは王子さまと“僕”がさよならするのを眺めていた。
お嬢さんは私の手をぎゅっと握ったまま離そうとしなかった。
大人になるということは、いらない葉を落とすことに似ているのかもしれない。
ただ茎を伸ばし葉を広げても、栄養が行き渡らずやがて枯れてしまう。葉をもがなければ、お嬢さんの手を離して。
しかしお嬢さんは泣きながら駄々をこねた。
「わたしはあなたがどうしたいかを知っているのに」
「私はどうしなきゃいけないか考えてるの」
私も引かなかった。でも泣きたかった。
私のいとしい小さなお嬢さん。ずっとあなたでいたかったのに、私の手足はにょきにょきと伸びてしまった。だって世界の流れはとても早くて、そんな短い脚じゃすぐに置いていかれてしまうから。しょうがないことなんだよ。
大人はきっとさよならをしてきたんだろう。私も心にお嬢さんの居場所を作って、空を見上げればいつでもその笑顔を思い出せるようにして、そうして私の成長した脚で歩いていきたかった。そうしないと私はお嬢さんの急な方向転換に振り回されてしまうし、お嬢さんは私の歩幅についていけなくて転んで膝をすりむいてしまうから。
“僕”の王子さまは今、いったいどこにいるんだろう。
私のお嬢さんはまだ隣にいる。手をつないで、さよならが言えないまま。
知り合いと「夏だし読書感想文書こう」という流れになり書いてみました。
感想文か?